ショパンの呼吸

ショパンの軌跡を辿る旅
03 /06 2009
写真 (282)

ジョルジュ・サンド館内の廊下は、息子モーリスが塗装しました。
薄いパステルがオーロラのようで、不思議な温かさを醸し出しています。
階段の上に見えるのは、ショパンが滞在していた部屋の扉。

写真 (291)

2重扉になっています。いわゆる防音のため。
ショパンはこの部屋にピアノを置き、作曲していました。
サンドは、とにかくショパンが曲作りに集中できるようにと、とても気を使っていたそう。
その辺のエピソードには、サンドのショパンを思う愛情を強く感じ取ることができて、
とても好きです。

写真 (286)

残念ながら、この部屋にあるものはショパンの遺品ではありません。
もちろんショパンが使っていたピアノも残っていません。
なぜならサンドが、この館にあるショパンの物を、ひとつ残らず処分してしまったから。
前回の日記にも書きましたが、唯一残るのはショコラの鍋だけです。

写真 (285)

ショパンの部屋から見える風景。

感傷的になるかな・・・と思っていたけど、それとはまた違う感覚を受けました。
むしろ冷静で、淡々としている自分がいました。

ショパンの代表作のほとんどが、この部屋で生まれました。
バラード4番、幻想曲、バルカローレ、幻想ポロネーズ、英雄ポロネーズ、ソナタ・・・
このノアンNohantという地があって、ジョルジュ・サンドという愛する人がいて、
ショパンはたくさんのメロディを生み出したんです。
故郷ワルシャワの次に、ショパンが愛した場所だと思います。


ピアノを弾いている時に、旋律と共に弾き手は呼吸をしますよね?
弾きながら自分の呼吸を意識した時に、ショパンを弾いているときは
明らかに他の作曲家とは違う呼吸を取っていて・・・。
ショパンは結核という病を抱えていて、咳き込む苦しさ、
息を吸う・吐くという当たり前の行為に不自由な面があったから。


そんな彼の呼吸が、生み出したメロディなんだと思う。


ショパンの旋律は、基本短いフレーズを重ねていくものが多い。
それをたたみ掛けるかのように覆いかぶさっていくメロディが魅力だ。

バラード4番の後半にかけてのフレーズなんて、まさにそう。
だから、弾いていて苦しくなるんだ。
長いフレーズが続いたとしても、突如それを断絶させるような休符や動きが表れる。
その苦しさは、ショパンが抱えている心の葛藤を受けてだと思っていたけど、
それだけではないんだと感じた。

写真 (289)

内廊下、とでもいうのか、部屋と部屋が廊下でつながっているんですね。
プライバシーはあまりない感じで。。。
奥に見える、青い壁紙の部屋がサンドの寝室。
通称ブルールーム。

写真 (283)

ショパンの部屋と、サンドの部屋。
お互い行き来したりしてたのかな。

この部屋で、サンドはショパンの部屋から聴こえるピアノの音に、
耳を澄ましていたんだろう。

ジョルジュ・サンドの館(1階をご案内です☆)

ショパンの軌跡を辿る旅
12 /14 2008
いよいよ館内の全貌をおみせします。
(道中での出来事は⇒こちら

この館の特徴としては、部屋と部屋がつながっていること。
それぞれの部屋に扉はあるけど、いちいちコンコン!ってしなくても、
お隣のお部屋に行けちゃうんですね。
なんかプライバシーが守れない風ですね

写真 (267)

まずは1階にある、キッチン兼食堂。
最新型のオープンキッチンを取り入れ、
たくさんの調理器具が、当時のままに残されています。
サンドの料理好きが垣間見えます。
ここでは、ショパンもパテを作ったりしていました。

写真 (294)

真ん中のお鍋は、ショコラ(ココア)好きのショパンの為のもの。
ショパンは毎朝かかさずショコラを飲んでいました。
なんか、こうやって実際に使っていたものを目にすると、
不思議な気持ちになるもんですね。

ショパンという存在を、作品から感じ取る時とは違う感覚。


「日々の生活」をしているショパンを、少しだけど感じることが出来て、
あったかい気持ちになりました。


写真 (268)

お次はダイニングルーム。
ヴェネチアングラスのシャンデリアが個性的でした。
サンドの孫オーロールが幼い頃この館で出会ったことのある人々のネームカードが、
各々の席に置かれ再現されています。
ナポレオン3世や、ツルゲーネフ、フローベルなどの文豪と、サンドの息子モーリスや
ショパンとサンドの共通の友人であるポーリーヌ・ヴィアルドの名前もありました。

ショパンの名前を探してしまったが、よく考えたらショパン没後のとある1日を再現している
わけで、当然ここには名前はない。


なんか、とても寂しい気持ちになって、思わずため息がもれました。

写真 (272)     写真 (271)

食器類はサンドのお気に入りのブランド。
素朴でかわいい印象。


お次はサンドの肖像画が飾られたリビングルーム・・・というより、サロンですね。
皆さんご存知のリストやドラクロワ(画家)もよく訪れていました。

写真 (274)

このサロンでは、ゲストの為にショパンが演奏したり、サンドが自作の小説を読み聞かせしたり・・・
ショパンの親友ドラクロワ、そしてリストや他文豪たちがみんなでワイワイ芸術話に花を咲かせ、
お互いを刺激しあっていたようです。


写真 (275)

サロンにある1800年代のプレイエル。
残念だけど、ショパンが使用したものではありませぬ。
サンドはね、ショパンと別れてすぐに、この館にあるショパンのものはすべて処分しちゃったの。
ショパンが愛したプレイエルのピアノもね。。。

うぅっ・・・そのいさぎよさったら。。。なんだかな。



冒頭で紹介したショコラの鍋だけが、館内にある唯一のショパンの「もの」なんです。


お次は、娘が使っていたベッドルーム。
サンドが初の作品(小説)を書いた部屋でもあるみたいね。

写真 (276)

なんだけど、、、ショパンが関連してないのでスルー


そして、こちら劇場です↓↓↓

写真 (280)

人形劇です。

写真 (278)

ちょっとこわいよ。。。

人形はサンドの息子モーリスが、洋服はサンド本人の手作り。
でですね、髪の毛はですね、当時この館を訪れていた多くのゲスト様方の
毛髪をですね、、、使用しております
ひとつ嬉しい?のは、この中に、ショパンの髪の毛もあるんだと。。。
もちろんどれだかわかんないし。
だいいちそんな至近距離で見れない圧迫感が漂っていたのでね


写真 (279)

ひょえ

ショパンがまだサンドとうまく行っていた時は
先ほどのサロンにて、人形劇を披露していたそう。
サンドが台本を作って、ショパンが即興で伴奏をつけてたんだって!!

あー。
そんな、仲の良い頃もあったんだよね。。。


で、ここまでが1階にあるお部屋。

お次は2階に進みます。
サンドが最後に過ごした寝室、通称the blue room。
そして、ショパンがたくさんの作品を生み出した部屋があります。

ショパンを感じることが出来るかな。
はやく2階にいきたい!!

ショパンとジョルジュ・サンド

ショパンの軌跡を辿る旅
12 /11 2008
18-17.jpg   Die_junge_George_Sand.jpg

通称、ジョルジュ・サンドの館です。

昔々、ジョルジュ・サンド(1804-1876)という女流作家がいました。
※本名オーロール・デュパン

ジョルジュって、ずばり男の名前なんですね。
いわゆる、フェミニスト(男女同権を主張する人)だったんです。
パリの社交界には、男装して現われ、常に注目を浴びていたようです。
そんな個性的な彼女の評判は、賛否両論。

そしてそして、自由奔放で恋多き女な彼女には、たくさんの愛人さんがいたのでした。

(注:ちなみに既婚者でしてぇ、、、子ども二人と養女一人がおりましてぇ、、、
旦那様とは別居中?みたいな。。。そんな彼女ですm(_ _ )m)


そんなたくさんの男性遍歴を持つ彼女。


その中に、ショパンがいました。


ショパン27歳の頃、当時のサロンにてサンド(当時33歳、年上っ!)に出会います。
「虫が好かん。あれが女なのか・・・」と第一印象は最悪だったようですが、、、
しかしそんな印象とは裏腹に、サンドから溢れ出る独特な魅力に、
ショパンは魅せられてしまいます。
のちに二人は恋人になりました。
(実際には、関係性でいうと愛人なのかもしれないけど、なんか不埒な感じがして、
二人の間柄には、恋人といったほうがいい気がする。)

写真 (321)
裏庭。当時から今と変わらず、手入れの行き届いた庭園だったそう。


サンドの存在を抜きにして、ショパンは語れません。
彼女は身体の弱いショパンに対して、献身的な愛情を持って接していました。
そして、ここノアンにある、秘められた土地のパワー。
ここでの生活があったからこそ、ショパンは素晴らしい作品を残せたんだと・・・。
マヨルカ島(スペイン)・パリ・そしてここノアン・・・サンドと共に過ごした8年間は、
ショパンにとって、一人の人間として、男として、そして作曲家として、
とても重要で大切な時間です。


しかし、この二人の恋模様は、最終的には愛憎劇に変わってしまうんですね。


この辺はですね、民事では収まらず、もはや刑事事件レベル。
注:いったいどんな??とお思いの方はこちらの本をご覧ください。恐ろしいほど鮮明に描かれています。。。

簡単に説明しますと、サンドの子どもたちのトラブルに二人は巻き込まれてしまうのです。
その際にですね、まあ様々な誤解が生じまして、溝ができる。
そしてここサンドの館内で様々な恐ろしい愛憎劇が繰り広げられまして、
ショパンとサンドの間の溝は、深い深いものになってしまうのです。
以降、互いの想いをうまく伝えられないままにして、誤解を誤解のままにして、、、
終わりを迎えました。。。


そんな感じの、けっして爽やかではない人々の感情がしみこんだ
ジョルジュ・サンドの館でございます。

写真 (324)
せっかくだし、と思って写真を撮ってみたがしかし、萎縮する私。


ショパンの手紙や、様々な文献を読んできて、つくづく思いました。

いつの時代も、男と女の関係ってなんでこうも複雑化するのか。。。
200年前のとある男女の恋愛劇を見て(見てはないけど)、やきもきしてしょーがない私であった。。。


ショパンはオクテで、恋愛下手というか、言葉で気持ちを表現するのが得意ではなかった。
だから、誤解されやすい場合もあるのはわかる。
だけどさやっぱり言わなくちゃいけない時もあるからさぁ!!
ショパンのばかぁぁぁと大泣きする私。(いっしょした友も同じく)

だけどさ、彼の作品を聴けば彼がどんなひとなのかすべて分かるように、
本当に優しさに満ち溢れていて、繊細で、こわれやすくて、
周りの人の気持ちを瞬時に理解して、接することのできるひと。
サンドもそれをわかってたはずなのにな。。。

あーーー。

ショパンが逝くときの悲しみは、故郷ワルシャワにとうとう戻ることができなかったことだけでなく、
サンドと再び笑顔で向き合うことができなかったことにもあるんだと思ってならない。


あーーーー。


写真 (319)
サンドの子、モーリスとソランジュが生まれた時に植えられた松の木。
こんなにも大きく。。。
なんだかなんだか、近寄れなかった。。。


次回は、館内と敷地内をご紹介。
かなりマニアックですが、ショパンファンにはたまらないはずです
 
あっ、とくにファンじゃないけど・・・という方もぜひご覧下さい^^

ノアン到着

ショパンの軌跡を辿る旅
12 /08 2008
写真 (242)

シャトールーからノアンまでバスで1時間。
フランスの真ん中に位置するベリー地方です。
車窓からの風景は、延々と続く広大な野原。
青い空・白い雲・生い茂る緑の3色のコントラストが鮮やかで、目に焼きつきました。
(パリからシャトールーまでの記事は⇒こちら
           20081020035705.jpg      20081020035747.jpg

     街中に入ると、かわいらしい装飾のされた住居がお出迎え。


        写真 (250)

無事ノアン到着。私たちジャパニーズ二人を置き過ぎ去るバス。。。
第一印象は、何もない・誰もいない・静かすぎる・・・でした。
見渡す限りの草原と、数件の住居。
あるのは目的地ジョルジュ・サンドの館とそれに隣接する宿プティファデット

写真 (317)

このホテルは、ジョルジュ・サンドの館と同じ敷地内にある、唯一の宿です。
ノアンでのショパンとサンドの生活を、少しでも感じ見ることが出来ることを期待して・・・
     
      写真 (251)    写真 (253) 

サンドの館に足を運ぶ前に、まずは撮影会。
だってだってこのお部屋、かわいすぎやしませんかっ!???

写真 (262)

お部屋から見える風景。
サンドの館に行く前に、こんなにアドレナリンがでまくってしまって
ショートするんじゃないか?と思いつつ。

ここノアンは、不思議な空気が漂っている。
静寂・・・とも違うな。
緑いっぱいの自然でのどかな場所なのに、
平和なイメージはあまりなく。。。
ちょっと不適切な表現だけど、もわーんとしててね、
なんか未知の世界と繋がっているような。。。

そう。


時間が止まっているような感じがした。


だから、ここでピアノを弾いた時、
今だかつて体験したことのない感覚に陥ったんだ。


写真 (254)


ノアンの空気に周波数があったら、ピアノが奏でる音とおんなじなんじゃないかな。
音が、空気と混ざって、この地に浸透していく気がしたよ。

ここの従業員のひとたちはね、音楽を生活の一部としてる感じがして素敵だった。
当たり前に音楽を愛してて、当たり前に音楽を感じててね。
私たちが演奏している時、お仕事の手を止めて、
のんびり物思いにふけるように、聴いてくれたりするんだ。
途中で電話がなったときなんか、「ゴメンゴメン」って小声で言いながら、
仕事の電話切っちゃったりしてくれて(笑


弾いてる時にね、そうやって聴いてくれてる人たちの想いが、
空気の中で音と一体化していくんだろうね。


弾いていて、身体がとても心地よかった。


友人が弾いてるときに、泊り客とおぼしきフランス人のおばあちゃん達が大勢入ってきたの。
そばまで来てね。
うっとりしながら、聴いててね。
「言葉はわからなくても、音でコミュニケーションがとれたわよ」って。
ピアノやっててよかったな・・・ってしみじみ思った。
言葉を超えたコミュニケーションなんて、最高だよね。



次回は、サンドの館の全貌をお見せします☆

  

ノアンまでの道のり

ショパンの軌跡を辿る旅
11 /03 2008
皆さん大変お待たせ致しました!!!
やっと書きます・・・「ショパンの軌跡を辿る旅」≪ノアン編≫です。
ここでのことは、濃厚すぎて一気に書ききれないんですよ。。。
とりあえず今回は、道中でのあれこれをお楽しみ下さい。

簡単にノアンとは何なのかを・・・

ちょうどフランスの真ん中に位置しています。
ここに何があんの??・・・ジョルジュ・サンドの館です!
ショパンが生涯愛した人、サンドが住んでいたお屋敷があるんです。
ショパンはここノアンに滞在中、たくさんの作品を生み出しました。
彼の代表的な作品のほとんどは、この地で作られました。
ショパンとは切っても切り離せない、大切で、意味のある場所です。

そんな場所に、行ってきました。

20081020035935.jpg  写真 (231)         
            写真 (232)

パリからまずは列車で約2時間Austerlitz駅(オステルリッツ)からChateauroux駅 (シャトールー)
でもって、さらにバスで1時間の所に目的地ノアンはあります。
バスが来るまでの時間、Chateauroux(シャトールー)にて教会を発見。

写真 (233)

ここシャトールーを、ノアンへ向かうショパンたちはひとまずの休憩場所にしていました。
この教会にショパンも立ち寄っていたかも。。。

         写真 (240)

ショパンのいた1800年代は列車なんてないですからね、
パリからノアンまで、なんと30時間馬車に揺られてたわけです。
ショパンは結核を持つ身で、病弱でしたから、どれだけつらい道のりだったか。。。

写真 (236)

そこまで無理をしてでも、ノアンに行きたかった。
ノアンの地を求めていた・・・そんなショパン。

そろそろバスが来る時間。
ノアンでは何が待ってるのかな・・・と期待に胸を膨らませ、次回に続きます。

人々に愛され、パリに没す。

ショパンの軌跡を辿る旅
08 /17 2008
       写真 (204)

パリ20区・ペールラシェーズ墓地にあるショパンのお墓です。
20歳で故郷ワルシャワを離れ、39歳までの生涯を、ここパリで終えました。
ワルシャワでの日記にも書きましたが→こちら 「身体はパリ・心はワルシャワ」です。
抽象的にとか心象的にとか・・・ではなく!物理的に。
ここに眠っているのは身体のみで、心臓はショパンの遺言のもと、
ワルシャワに持ち帰られ、聖十字架教会の柱に埋まっています。

ペールラシェーズ墓地は、様々な著名人が眠るパリ最大の墓地で、
ショパンのお墓にたどり着くまで、かなり迷いました。

やっとのことでたどり着き、対面して、号泣してしまいました。
今回の旅では、何度も何度も感情より先に涙が流れ出てしまうということが
多々ありました。
感性のアンテナが常にビンビン立っているという状態が、続いていたようです。

なんかね、ワルシャワでショパンの心に触れていたから、
ここパリで身体に触れられて、自分の想いの中でのショパンが
やっとひとつになれた・・・そんな気がしたんだ。

つながった・・・って、そう思った。


写真 (205)

お花を捧げました。


再来年(2010年)で生誕200年になるショパン。
当時から周りの全ての人に愛されてきたショパン。
それは、ショパンの音楽的才能をもてはやすということではなく、
ショパン自身の中に流れる、思いやりや優しさ、壊れやすいほどの繊細さに、
周りがそれを包み込むように、彼の才能が生かされるように、
尽力を尽くしたくなる存在だったということです。


今でも、お花が耐えることはないそうです^^



magdalene.jpg

ここは、ショパンの葬儀が行われたマドレーヌ寺院。

ショパンの遺言のもと、モーツァルトのレクイエムが演奏されました。


写真 (219)


圧巻。


        写真 (218)

旅の前に、平野啓一郎さん著の「葬送」を読んでいました。
冒頭のシーンは、ここマドレーヌ寺院での葬儀のこと。
それぞれのショパンに対する想いを胸に抱きつつ、
すすり泣き葬儀に参列する姿や、ショパンと親密な付き合いを持った人々の
会話がまざまざと描写されています。


そんな情景が、そんなざわめきが、聴こえてくるかのようでした。

                                                       

ショパンがくれた奇跡。

ショパンの軌跡を辿る旅
08 /07 2008
写真

「ショパンの軌跡を辿る旅2008」≪ワルシャワ編≫のラストは、
ここヴィジドキ教会で体験した、奇跡的な出来事について綴ります。

サプライズな出来事があったので、案の定コーフンしてしまい外観の写真を取り忘れましたっ
・・・で、季節は変わりますが、真冬に行った際激写したもの↑になります。
今の季節ですと、周りの木が緑で生い茂っていて、もっと明るい雰囲気です。
こーしてみると、やっぱり雪景色の街って風情があっていーな。
教会の厳かな趣が、増して感じられる。。。

ここヴィジドキ教会は、ショパンが高等中学生の時に、全校生徒が参加するミサで
オルガンを弾いた特別な教会。
1750年代に建てられた教会で、奇跡的に戦禍を免れたんだって。
だから、ショパンも、まったく同じままの建物を見ていたことになるんだ!

写真 (106)        
↑ショパンがここでパイプオルガンを演奏した  
ことを記すプレート  


以下、あたしたち二人がここヴィジドキ教会で体験した、奇跡について綴ります。


教会の中に入ると、ミサが行われていました。
友人としばしその空気を堪能していました。
その時、目の前をひとりのシスターが通りました。
近くにあるベンチに座り、あたしたち二人に視線を向けていました。
あたしたちはとくに会話も交わさず、だけどお互いそのシスターの視線を感じていました。
なんとなく、ただなんとなくそのシスターのそばに行きたくなったあたしは、
歩いていきシスターの隣に座りました。遅れて友人も座りました。
するとシスターは微笑んでいました。
あたしたちはその間、一言も言葉を交わしていませんでした。

そんなとき、教会の後方、パイプオルガンがある高台から、
一人のおじいちゃんがこちらを見て何か言っています。(ミサ中だから、口パクで)
あたしたちは、「えっ?うちらになんか言ってるよね??」と半信半疑で、、、
すると、そのおじいちゃんが「こっちこっち、上がっておいで^^」と手招きしているじゃないですか!!
「えーー!!だって、あそこはショパンも昇った場所だよ!!
いーの!?いーの!?あたしたちが行って!!」と半狂乱。。。

とてもじゃないけど、現実とは思えないこの奇跡、幸運にあたしたちは
平常心ではいられませんでした。


ショパンも昇った、当時のままの木の螺旋階段を・・・
一歩一歩踏みしめて、上までたどり着きました。
そのとき、友人はすでに号泣していました。
あたしは、まったく予期せぬうちに目の前に訪れたこの幸運を前に、
感動を通り越して、訳がわからなくなっていました。。。


写真 (105)
そのパイプオルガンのある高台から見た風景。


そこにはさきほどのおじいちゃんと、その方とまったくおんなじ顔をした
おじいちゃんがいました。(聞いたら、双子さんだそーです^^)
「君たちはショパンのために来たんだね。いーから、そこにお座りなさいな。」
と、優しく話しかけ、私たちのために椅子を用意してくれました。

そのおじいちゃんは・・・

なんと!ここで52年間オルガン奏者を務めているタデウシュさんだったのです!!




すぐ横で鳴り響くパイプオルガンの音・振動を全身全霊で感じながら、
タデウシュさんの毅然とした、しかし温かく胸に染み入る歌声を聴きながら、
ただただ、ショパンを強く強く感じていました。
隣で涙が止まらない様子の友人も、きっとショパンを感じていたことでしょう。。。

それだけでも、特別で奇跡で充分な出来事なのに、
わたしたちはタデウシュさんの温情で、ミサの後、そのパイプオルガンを
弾かせていただくという幸運に恵まれたんです。

写真 (191)
闇夜に浮かぶヴィジドキ教会

この出来事を振り返って見ると、いろいろな奇跡が重なった結果だな・・・と。

これからミサが始まるとは知らずに、友人が今このときにヴィジドキ教会に立ち寄りたいと言って、
あたしたちの前をすっと通り過ぎたシスターがいて、
そのシスターがあたしたちに何か見えないメッセージを送って、
あたしたちがシスターのもとに行き、
そのベンチに行ったからこそ、(もといた場所は死角だった)
タデウシュさんがあたしたちに気付くことが出来た。。。

そもそも神聖なミサ中にオルガンを離れ、下を覗いたことも不思議だし!!(by友人)


ショパンが、きっと、あたしたちを導いてくれたんだ。
ありがとう。


次回の日記は、「ショパンの軌跡を辿るたび」≪パリ編≫を綴ります。

                                                 

静かな夜・・・と、フィルハーモニーのお話。

ショパンの軌跡を辿る旅
07 /27 2008
写真 (187)

ワルシャワ旧市街の夜です。
滞在中のある夜、とても不思議な体験をしました。
↑こんなにいっぱい人がいるのに、
とにかく静かなんです。
友人と歩きながら、「なんでこんなに静かなの?!」と・・・

無音なんです。
ただ、ほわーんとした温かい空気が流れていて、とても不思議なんです。

夢の中のような・・・
でも、なぜかとても神秘的な感覚。。。

とにかく、歩いて見ました。
すると・・・

写真 (185)

旧市街入り口にある聖アンナ教会の周りに人が溢れていました。
中ではミサがやっていて、そこに入りきれない人々がたくさん!
何か特別なミサなのでしょうか。。。
ここで祈りを捧げている人々の、静かで高尚な想いが、
街中の空気に浸透して、深く静かに拡がっていたのかな・・・



そして、もうひとつ^^ワルシャワのフィルハーモニーホールでのお話を・・・
ピアニスト山本貴志くんのコンサートです♪
曲目はチャイコフスキーのピアノコンチェルト。
オケはショパンコンクールでもおなじみの、ワルシャワフィルです!!
2005年のショパンコンクールで4位になった彼は、このコンサートを持って、
ショパンアカデミー学院での5年間の留学生活を終えて、現在は日本に帰還して幅広く活躍中です。

写真 (109)     写真 (112)

貴志くんの演奏は、日本でも可能な限り聴かせてもらっています。
要するに、彼の演奏の虜になっているあたしたちです。。。
ワルシャワの空気の中で貴志くんの演奏を聴けるなんて、
とても幸せなことだと思いました。

写真 (113)

ここワルシャワフィルハーモニーホールは、5年に1度開催される、
「ショパンコンクール」が行われる場所。
毎回、ショパンの音楽を通して、様々なドラマが繰り広げられます。
アシュケナージ、ポリーニ、アルゲリッチ、ツィメルマン、ダンタイソン、ブーニン、ルイサダ・・・
現在の著名なピアニストのほとんどが、このショパンコンクールをきっかけとして、
活躍を世界へとひろげて来ました。

ステージとの距離感が近く感じられるとても素敵なホールでした。
今回あたしたちが座った2階席は、コンクールでの審査員席のすぐ後ろ。
(貴志くん自ら、チケットを確保してくれました。とてもありがたいことです

コンクールでの緊張感がこのホールのすべてに残っている感じがして。。。

次回のショパンコンクールは2010年です。
2010年は、「ショパン生誕200年」の特別なyear.
ここでまた、様々なドラマが繰り広げられるんだろーな。。。

ネットのライブ中継で、ここ日本にいながら、すべて観ることができるんですよ♪
時差の関係で、寝不足になること間違いなしですが、
文明の利器に感謝です!

あーでも、もしかしたらだけど、、、

2010年、再びワルシャワの地に立ってるかもしれないな。
なんか、そんな気がしてならない(笑


                                                 

こころの換気。

ショパンの軌跡を辿る旅
07 /23 2008
写真 (173)

ワルシャワのワジェンキ公園です。
夏の時期は毎週日曜、青空のもと、ショパンコンサートが開催されています。
みんな寝ころがりながら、池の水に素足をさらしながら、小鳥のさえずり、
風の音、太陽の光を浴びながら、それぞれにショパンの音楽を楽しみます。

気持ちよすぎて、全身で光合成してしまいました。
ホールで姿勢を正して、沈黙し、かしこまって聴くクラシックコンサート。
こんな風に、リラックスして、自然の息吹を存分に感じながら聴くコンサート。
同じショパンの音楽でも、また違った面を見せてくれます。


   写真 (165)   1.jpg
      ↑ショパン像の横にピアノがある        バラが満開の時はこんなかんじ↑↑


さて、ワジェンキ公園内を散策しましょー♪

本当に本当に美しい公園なんです。
この時期のワルシャワは、近くに木々のある場所を歩けば、
まるで雪のような綿毛がいーっぱい飛んでるんです。
何かの木の胞子のようなものなのかな。。。

それがとにかく幻想的で。。。(やはり写真には写りませんでしたTT)


ふわふわふわふわ・・・夢の世界へ


写真 (166)


小鳥のさえずりが美しいの
まるでコロラトゥーラみたいに・・・

ショパンの曲にも、いっぱいこんな音が出てくるね


写真 (167)


この公園は、とても神秘的なものを感じる

ショパンもここを歩いてたんだね

同じ景色を見てたんだ


写真 (179)


自然のエネルギーってすごいね

時間の流れを感じさせない、ただ今この時が永遠に続くような・・・



写真 (176)


水面に映る緑


写真 (177)



写真 (171)  ←ワジェンキ宮殿です。
              ワジェンキとはポーランド語で浴場と言う意味で、
公園内の離宮にある浴場がとても美しかったことからこの名前が着いたそう。
光合成したから、ちょっぴり小麦色になった。。。
   てゆーか、旅の間ずっと顔むくんでるんだよね・・・いつもはもーちょっと小顔のはず^^;

普段の生活って、当たり前にいーこともやなこともたっくさんあるし、
そんな日々を過ごしていると、自分が傷ついていることさえ気が付かなくなって、
鈍感になって・・・いや鈍感になるほうが楽だから。。。
そーやって、生きていくために、オトナはみんな自分なりの無理をしてる。

ワジェンキ公園は、こころの窓すべてが開放されて、
こころの換気ができる特別な場所。


                                                 

ワルシャワで感じる。。。

ショパンの軌跡を辿る旅
07 /20 2008
      写真 (142)

ワルシャワの新市街です。
オープンテラスで真昼間からみんなまったりしてます。
一人分の量がもんのすごい。
がしかし、あたしも友人も口ぐせが、「足んないんだけど。」
・・・な大食いクイーンなので、こんぐらいが大満足。
余裕でたいらげますけど・・・  写真 (129)

        

        写真 (148)

        ランプや窓枠のアールデコ調のデザインが、本当にステキ。

        写真 (140)


この日のディナーは・・・
ショパンがよく通っていた「ホノラトカ」というレストラン。
留学生のお友達に連れて行ってもらいました。

       
         写真 (158)   写真 (160)

階段を下りて、白い石造りの踊り場に立った瞬間。

優しさに包み込まれている感覚がしました。

苦しみや悲しみなどは微塵もなく、
ただ優しさと幸福感のようなものに満ちた空気が漂っていました。
澄み切っていて、でも強い主張はなく、
身体の中にすーっと本当に優しく入ってきました。

あの時の感覚、今でも忘れられません。
あんな感覚、初めて味わいました。


ショパンいるね。
やっぱりワルシャワに帰ってきてるんだね。


友人とそんな会話を交わしていました。


        写真 (161)

お料理も、とってもとっても美味しかった。
留学生活のいろんな話を聞いて、お酒を少々・・・といきたい所でしたが、
3人とも楽しいながらに疲れが溜まっていたので、
栄養ドリンクで精力を増強しました。
ストローでガンガン飲みました。
おかわりもしました。
その日の夜はうなされました。
友人と同じ夢?みたいなものにうなされました。
翌朝、一皮向け、成長したあたしたちがいました。
何かを、達観できた風になっていました(笑

      写真 (163)

         ↑ワルシャワのホステルにて。
      毎日いっしょにいるのに、朝っぱらから話が尽きない。

                                                 

ワルシャワの初夏

ショパンの軌跡を辿る旅
07 /06 2008
      写真 (116)

      ※ワルシャワは第二次世界大戦での激しい市街戦の結果、跡形もなく破壊されてしまいました。
      現在の建物はすべて戦後建て直したものなのです。
      戦前の写真や絵画などを元に、市民が奮起して建物の色や装飾、ひびの1本1本まで・・・
      再現して街並みを復活させたのです。
      ポーランド国民の強い愛国心を称え、ここワルシャワ旧市街は、世界遺産に登録されています。



ショパンの生まれ故郷、ポーランドの首都ワルシャワです!

以前に訪れたのは真冬・・・極寒。。。雪景色の中でした。 → こちら
重く哀愁の漂う雰囲気、張り詰めた空気に包まれた街並み、そこにひっそりと佇む教会や建物。
人気のない旧市街。下を向き、足早に歩く人々。
視覚から感じる色彩はほとんどなく、そのひんやりと湿った空気を肌に感じて・・・。

そんな印象のまま、再びワルシャワの地に立ちました。

ところが・・・

      写真 (118)

この澄み切った青空。この、包み込むようなおだやかで温かい空気。
人々の笑い声。笑顔。
目に飛び込む、空の青。生い茂る木々の緑。建物のひとつひとつの装飾。

      写真 (127)


あまりのギャップに、その空気になじむのに時間を要しました。
何よりも、建物から発しているエネルギーのようなものが、まったく違っていたので・・・

季節によって、ここまで違った姿を見せてくれるなんて。。。

        写真 (157)

まずはショパンの心臓が眠る、聖十字架教会へ・・・2年ぶりのごあいさつ^^

         写真 (197)      写真 (199)


こんな旅、マニアックといえば、マニアック。
それだけ、ショパンが好き・・・特別で・・・

週1更新のブログ・・・(笑
今後はしばらく、ワルシャワのことを手記っていきます。

 

        

ウィーンでのショパン・・・

ショパンの軌跡を辿る旅
06 /29 2008
1830年11月、20歳のショパンは故郷ワルシャワを離れ、ウィーンへと旅立ちました。
しかし、到着してから1週間後、ワルシャワでロシアに対する反乱が起きたという
知らせを受けます。

      写真 (7)

              賑やかな街中に 突如その姿を現す。
          闇夜に浮かぶウィーンのシンボル、シュテファン寺院。


故郷を想い、悲しみにくれるショパンはクリスマスの夜に、
一人さみしくこのシュテファン寺院を訪れています。

当時のウィーンは、ヨハン・シュトラウスなどのワルツが大流行していました。
そしてショパンは、あまりに俗っぽい音楽だ・・・と、
それらの流行にはあまり関心を示しませんでした。
幸せなワルシャワでの青春時代と、華やかなパリ時代にはさまれたウィーン滞在の8ヵ月は、
ショパンにとって「魔の時代」とか「無為の時代」などと言われています。
作曲も滞りがちで、スケルツォ第1番とバラード第1番を手がけたものの、
完成はパリに持ち越されます。

1831年7月、何の成果も得ることもなく、ウィーンを後にします。

ショパンのウィーンでの住居は、今は残っていません。
王宮から目と鼻の先、高級ブランド路面店が立ち並ぶコールマルクト通りに
「ここにショパンが滞在していました」というレリーフが掲げられています。
もちろん写真に撮ったけど、ここに載せるのは悲しいくらい、
普通のおみやげやさんと化したその建物。
しかも、そのまったく似ても似つかないレリーフには、くもの巣がかかっていて・・・
しばらく、友人とその場に立ち尽くしていましたが、
「ショパンはここにいないね。ショパンには、ウィーンは合わないね。」
お互い、なんだか空虚な感覚を覚えていました。

今回の旅で、ウィーンでのショパンについて、いろいろと感じることができました。
無為の時間・・・初めての孤独、故郷を想う不安な心情。
そのことを意識しているからなのか、あたしはウィーンにいる3日間、
なぜか心が不安定でどうしようもありませんでした。なぜか心ここにあらずな感じが否めなく、
苛立ちを覚えているところもありました。

とはいえ、せっかくの旅だし!充分にウィーンでの時間を満喫しました^^

   オペラ座ではバレエを鑑賞↓↓↓

写真 (6) 写真 (102)

   
   楽友協会ではルドルフ・ブフビンダーのピアノリサイタルを聴くことができ、
   旅初日にして、感動で号泣してしまいました。↓↓↓
      
写真 (1)  写真 (2)
                  写真 (3)

ブフビンダーの演奏を聴き、とめどなく流れる涙を頬に感じながら、
「今回の旅は、自分にとってどんな意味をもたらすのだろーか。」と考えていました。

ウィーンの裏道にて。

ショパンの軌跡を辿る旅
06 /22 2008
ウィーンの旧市街を歩くと・・・
メインストリートはいわゆる観光地という雰囲気で、
人も店もワイワイがやがや・・・といったかんじ。

そー、ウィーンは裏道がいい。

すごくいい。

メインストリートを避けて、横道に一歩踏み入れると・・・

        写真 (18)


さっきまでの、がやがやが不思議と聞こえなくなる。
静かで美しい街並みに酔いしれる。

なんてステキな装飾!!

        写真 (20)


        写真 (17)


そんな裏道散策をしていたら、とある音楽アカデミーに辿り着きました。
中をのぞいてみると、
これからチェロのレッスンが始まるかんじで・・・

迷わず不法侵入しました。
そして、ドアが閉められ、レッスンが始まりました。
明らかに浮いているジャパニーズ女子ふたり。。。
でも、むしろ笑顔で受け入れられているあたしたち。
さすが、欧米、ホント自由を感じる。


ここで、あたしたちは素晴らしいアーティストに出会ってしまう。

      写真 (25)


ふいうちでした。

まさか、何気ない不法侵入の場で、こんな音楽に巡り合うなんて。。。
古典派のソナタを弾いていたのですが、
その色のある、深くあたたかく、こころにズシーンとくる音色。
メロディーラインの取り方、呼吸、表情、情熱。

彼女の胸を打つ演奏に、ひとまず放心。

そして号泣。。。

とある音大の、ある日のレッスンで、泣いているジャパニーズふたり。

そんなことはいーんだ!
もう、いてもたってもいられない!
この感動を、彼女に伝えたい!!
ってことで、彼女の元に押し迫りました。

彼女は韓国人で、名前は・・・忘れました。。。。。

      写真 (28)


「We hope you will be famous!!」
とコーフン気味で伝えると、はにかみ笑顔で、「Thank you!! I hope so.」


あーやっぱり、音楽って最高だ。
こんなにいい音楽をするひとに、何気なく出会えたことに、
この上ない幸せを感じる。

極上のひと時。

無事帰還なり。

ショパンの軌跡を辿る旅
06 /12 2008
      ショパン紀行 023


いやはや、とても濃厚な旅となりました。

ウィーン3泊→ワルシャワ3泊→パリ2泊→ノアン1泊→パリ3泊 (2008/5/27~6/9)


パリではショパンが住んでいた家々を見て周りました!!
とにかく、歩いた。
あたしたち娘二人は、とにかく歩いた。
そして、パリのメトロはまかせとけってくらい、
乗りこなしていた。。。


泊まったホテルや教会にもピアノがあり、あちらの空気の中で、
たくさんピアノを弾くことも出来ました。
公共の場所で、自由に弾くことができるってホントにヨーロッパらしいですよね。
で、弾いているあたしたちを誰も止めることなく、むしろ目をつぶって
聴いてくれている・・・
そして、声をかけてくれる・・・

ほんとすてきです。

ミラクルな出来事がもりだくさんで、
ワルシャワでは教会のパイプオルガンを弾かせてもらえました。
あちらでも、素晴らしい音楽家の演奏にも触れられて、
本当に音と隣り合わせの旅となりました。


あっ、スピリチュアルな体験もデビューしましたけど・・・


とにもかくにも、濃い。


うん、ほんとに・・・濃いんだ。

ショパンだけでもとても濃厚なのに、それ以外の
あれやこれや、あんなことこんなこと~~
これから、あたしの不安定な記憶力が風化しないうちに、
このブログに写真とともに(500枚も撮った)残していきたいと思います。

とりあえずは、放置してしまっていた生徒さんのレッスン再開と、
伴奏合わせと、今後の本番のための練習と・・・
気持ちを切り替えてやってきますわ^^

ではでは、今後のブログをお楽しみに♪

ショパンの軌跡を辿る旅・・・

ショパンの軌跡を辿る旅
04 /04 2008
         本



ブログ、書かな過ぎました。。。


ちゃんと生きてます。


そして、いよいよ旅に出ます!!

あっ、5月の終わりから^^


大好きなショパンを追って。


ショパンはポーランドで生まれ育ちました。
20歳で祖国ワルシャワを去り、以降、生涯旅の人生を送ります。
プラハ→ウィーン→パリ→ボヘミア→マヨルカ島→ノアン(仏)
→ロンドン→スコットランド→そしてパリにて永眠(享年39歳)

一度も生まれ故郷に帰ることなく、生涯を終えています。


ショパンは旅を続けるあいだ、故郷の両親や友人に
手紙を書き続けました。

膨大な量です。

そこには、祖国への想いが痛いほどにつまっています。
ショパンの作品は、とっても洗練されていて美しい・・・
その中に祖国への想いがメロディとなって溢れていて、
常に孤独を感じて、引き裂かれる想いで生きていたんだなって。。。

でも、だからこそ、こんなにステキな曲を生み出すことが
できたんだもんね。
そー考えると、複雑な気持ちになりますね。


ショパンのお墓は、パリにあります。

彼の心臓は、祖国ポーランドにあります。
ワルシャワの聖十字架教会の柱に埋められています。


身体はパリ、心はワルシャワ・・・


今回は、友人と二人で回ってきます。
約2週間、全てを回ることは難しいので、
ウィーン・ワルシャワ・パリ・ノアンのゆかりの地を辿ってきます。
ポーランド・ワルシャワは2度目ですよー

どんだけショパンが好きなんだ(笑

また、初心に戻ってピアノに向き合う・・・そんなきっかけになる
旅になると思います。
まずは、準備だー。


※無事帰還しました!!
旅の模様は→ショパンの軌跡を辿る旅/2008夏をご覧ください^^♪

小ノ澤 幸穂

小ノ澤 幸穂 Yukiho Onozawa

東京音楽大学付属高等学校を経て、東京音楽大学ピアノ科卒業。在学中、板橋区クラシックオーディション合格。第5回ヤングアーチストピアノコンクール奨励賞受賞。第30回国際芸術連盟新人オーディション合格。コンセール・ヴィヴァン新人オーディション合格。2006年、ポーランド国立ショパン音楽大学マスタークラスにてピオトル・パレチニ氏に師事。ディプロマ取得。2010年、及川音楽事務所第17回新人オーディション優秀新人賞受賞。2012年、音楽の友ホールにてソロリサイタル「音の先にあるもの」を開催。2013年より東京大学大学院情報学環・作曲指揮研究室にて演奏助手を務め、ドイツ・バイロイト祝祭劇場での音響収録や、初演作品や現代音楽の演奏に携わる。

現在、ソロリサイタルの他、アンサンブルでの活動も多く、声楽家・ヴァイオリニストなど多数のアーティストに招聘され共演、CD録音やリサイタルでの伴奏を務める他、オペラ公演ではオケ中ピアニストとして携わるなど活動は多岐に渡る。また近年、クラシック音楽を身近に広めることを目的に、トークコンサートをプロデュース。

これまでに、佐川草子、大野真嗣各氏に師事。日本クラシック音楽コンクール審査員。板橋区演奏家協会会員。及川音楽事務所所属。東京大学大学院情報学環作曲指揮研究室演奏助手。

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ご感想・ご質問、レッスンについては
こちらまでお気軽にどうぞ。
 
  yukiho.onozawa@gmail.com

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