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ピアニストな日々。

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父が他界して・・・

1月21日(金)正午頃に、病床の父が他界しました。
62歳でした。

筋萎縮性側策硬化症という難病を4年にわたり、患っておりました。
このブログにも父のことは何度もお話させて頂いていますし、
友人や、いつもお世話になっている方々には、直接お話させてもらっていました。
慣れない介護に奮闘し、グチもたくさんこぼさせてもらってました。


こうやって振り返ると、長かったのか短かったのか、よくわかりません。
父の死というものに対面しているにもかかわらず、実感があるのかないのかさえ、わかりません。


父の死を受け容れられないというわけでもなく、失った喪失感というわけでもなく、
ただただ、よくわからない。


こういうのを実感がないって言うんですかね?
でも、実感はあるんだよな。


だって、いないから。


でも、いないけど、いるんだよな。


生きてたときより、父の存在を強く感じてるんです。
父のことを常に考えてるんです。
父の愛を感じているんです。


肉親の死って、こういうことなのかな。




父が亡くなってから、あっという間に1週間が過ぎてしまいました。
葬儀では、なんと250人の方が弔問にいらしてくれました。
そのほとんどが、お店のお客様です。
電報や生花もたくさん頂きました。

もうそれは、お店のマスターとお客さんという垣根を越えたものでした。
純粋に父のことを想って下さっている気持ちが溢れていて、
もう温かくて温かくて、愛がいっぱいで、本当に有難くて、
そんな風に想って頂いた父は本当に幸せです。


父の人徳に感動、心から父を尊敬する。
素晴らしいなと思った。

それと同時に、残された母のこと、今後のお店のことを親身になって
心配してくださって、もうとにかく、父も母も「なにわ」も、
お客様に愛されて成り立ってきたんだと思うと、ただただ有難く胸がいっぱいになります。



神田神保町にある大衆割烹「なにわ」はもう34年の歴史になります。
病床についてからの父は、お店に出られないことの悲しさと辛さと悔しさと懐かしさと
そんな全てがない交ぜになった感情を常に胸に抱いていたに違いありません。

自分の店、自分の歴史。
それを、こんな訳のわからない病気という形で終わらせることになった現実を、
父は消化するも何も、受け入れるも何も、もうしょうがないんだって思って
毎日過ごしていたんだろうと思います。


もっと、優しくしてあげればよかった。

もっと、父の気持ちを聞いてあげればよかった。



パパ、ごめんね。





今は、とても現実的な日々で、一家の主、経営者を失ったことによる事務的な作業に
母とすったもんだしています。

私のほうは、2月12日に生徒さんの発表会を控えており、そちらを無事成功させ、
音大受験生の生徒さんの試験曲の検討など、しっかりやっていきたいと思っています。
演奏活動のほうも、続けていきます。

こんな状態でも、やっぱりピアノが弾きたいんですね。
弾きたいというより、こんな状況を経験したからこそ、たくさんの伝えたい想いに
溢れていて、表現したくてしょうがないんです。
音楽をやってこられたのも、父のお陰ですし、父への感謝を示す為にも、音楽を続けたいです。
というより、私にとって音楽は、続けるとか辞めるとかのものではなくって、
大げさかもしれないけど、人生そのものだから、一緒に歩んできたものだから。


お店のほうは、母と相談中ですが、私も経営に携わっていくことになるかもしれません。
父はどう思っているのか念のため天国に確認したら、うんうん頷いている様子でした(笑
母のサポートをすることは、父にも約束しました。
経理やメール配信などは、父が存命のときも手伝っていたんですが、
実際もう「これどうやってやるの?」って聞ける人がいないのは不安ですね(笑


お化けでもなんでもいいから、出てきてもらって、きちんと指導してもらいたいもんです(笑


毎日毎日「お~い、でてこーい」と呼んでいます。
あんまり呼んだりすると、天国行きづらくなりますかね。
でも、たまには出てきてもいいですよね。

きっと今は、お店のお客様ひとりひとりに挨拶回りをして忙しいんだと思います(笑
父は本当に真面目で律儀な人でしたし、義理人情に厚い人でした。
でも、お堅いわけではなくって、人を笑わせたり楽しませたり喜ばせることが大好きな人で、
欲もなく、商売人としては珍しいタイプの人間だったのではないでしょうか。


そんな父の人柄+母の人柄があって、あの「なにわ」というお店があります。

私がいます。